底冷え

岩 粗削り

正直自分でも理解できないがネガティブな気持ちに囚われた。

理由を自覚できないことは珍しくないし、今回は理由の一つを特定できているかもしれないが、このような気持ちになったのは2、3ヶ月ぶりだ。

理由の一つというのは自分の無価値さである。

そこまではまだいい

それに囚われたのは、ある人が書いた記事を読んだから。

そこからが分からない

ある人は最近メディアに出ていて人前に出る活動をしている。そしてその人と若干の面識がある。

まさか若干の面識だけで自分とその人を同じ土俵と見做して、記事に表れたその人の価値に打ちのめされたのだろうか

とにかくその記事を読んでから久しぶりに思考が高速回転し、いつも行うように人に説明する口調で脳内は文章で埋まる。

この思考が練られること自体はとても楽しいのだが、記事に対する他人のリアクションを見ていたら自己完結が自然と客観視に変わっていった。

自分は傲慢なので人の意見の表明よりも自分の方が優れていると自然に思ってしまう。

しかし他人のリアクションを見ているうちに、傲慢さが弱まっていき、自信の無さが強くなっていった。

自分が優れているためにはさらに優れた他人の要素を取り入れなければならない。

他人の、「分析を深く行わず直感的な感想」も讃えるべきだと思った。自分はなるべく行いたくないが。

そして他人の「素直な」リアクションを同じく人前に出る活動をする人が肯定するところを見た。

これが自分の否定や無価値さの自覚に繋がったのだろうか

ネガティブな気持ちをネガティブな方法で発散させようとしているが、経験上これは他に発散の手段を選べない時だ。

もう自分に相応しい方法なんて残っていないと思っている。流石に前よりメンタルはマシになったので疑似的な考え方ではある。

誰かの言葉が自分の耳に届く時は得てして誰かは何者かであり、自分は何者でもない。

何者でもない自閉的な自分に言葉を届けられるのは、何者かである人しかいないから

自信が欲しいとともに完膚なきまで叩きのめしたい気持ちもある。