底冷え

岩 粗削り

希死念慮についてはもうだいたい何のきっかけで発生するか把握できるほどに、普段は発生しない非日常側のものとなった。逆に言うと、何をきっかけに希死念慮を起こせるか知っている。非日常と表現したが、それはむしろ自分としっかり結びついた証拠であると思う。頻度は下がれど衝動的で感情的になるのは変わらない。ついさっきは自分がどこかに行ってしまうような焦りが表れた。どこかに行く自分とそれを見る自分の2人分を感じて、どこかに行く自分は希死念慮そのものだと思った。同じ自分だしこれとは一生付き合わなければいけないと思った(鬱は治らないとかと同じように)。

ていうか自分の死を想像して快楽覚えてるのマジでバカなんじゃないかと思う