底冷え

岩 粗削り

常識?

高学歴ニートと政治家が戦っているテレビのコーナーをSNSと一緒に見ていた。

テレビの感想としては政治家の言い分が感情論にしか聞こえない、と感じた。若者の方はツイッターで一部支持を得ている考え方だなぁと思った。

同じくテレビを見ながらツイートされた感想を見ていると、政治家を支持するものがかなり多かった。その内容も一般論、常識に則ったもので、○○をするのは当たり前なのに、とか、△△なんて子供だ、などの構成ばかり。支持するならその根拠も一緒に述べて欲しかった。

そもそもそれぞれ境遇、環境が違うであろう人々を1つの立場としてまとめて議論するのは、最低限共通している正規雇用に就いてないことだけが論点になってしまうので、漠然と「働かない」ことを感情論的に迫っても仕方ないかとは思う。構成上無理があるというか建設的な議論を想定してないただのショーだとしたらこの指摘も無意味だが…

私は若者の考え方に近いので自分の考え方でなぜ働かないかを説明してみると、社会が怖い、に落ち着く。確かにこれも根拠が個人の中にしか存在しないので論理性を欠いていてわがままに見える。それでも話を進めるならば、自信がない。どこまで進んでも正当性がある理由にはならなそうだ。しかしそれと同じように常識がいつも正当性がある理由になるとは思えない。政治家を支持した人たちは常識を疑問に思ったことがないんだと思う。常識がなぜ常識としていられるのか、それの多くは倫理や道徳を守るためでその機能としては大衆において効果的である。しかし個人においては常識を適用する前に柔軟な考え方が必要なんじゃないかと思う。それはまさにその若者たちで、実際常識を当てはめたところで変わらないとテレビを見ながら思った人もいるのではないか?社会だけでなく問題は個人にもある。異常者としてテレビに出ているなら個人に問題があるのは分かりきったことか?ならなおさら「働かない」という漠然とした問題ではなく、個人に焦点を当てるべきだ。

多分常識にだって個人の思想にだって突き詰めれば根拠は直感になる。直感でだめだと思った人なんだと思う。結局どちらも論理というより直感でぶつかってるだけなんだから、論理という上っ面を捨てて根源的なことで話した方がいいかもね、という気持ち。