底冷え

岩 粗削り

善の研究 個人的メモ

数字はページ数  岩波文庫(第90版に対応)

「」内は引用  

 

20 しかし意味や判断は人間が経験を認識するのに不可欠に思う


21 純粋経験はすでに要素や特性を具えているため差別化が可能→純粋経験は人間の知覚の中に存在するものであるが、絶対的な性質を持つ?

「意味とか判断とかいうのは現在意識と他との関係を示す者で、即ち意識系統の中における現在意識の位置を現すに過ぎない」


24 全ての判断、論理は直覚や直感に基づく?

 

27 「思惟には自ら思惟の法則があって自ら活動するのである。我々の意志に従うのではない。」

「思惟においても一表象より一表象に推移する瞬間においては無意識である」→論理的強制力のこと?

 

31「同一の意識であっても、その入り込む体系の異なるに由りて種々の意味を生ずるのである」→クオリア

 

33 一般とは絶対性に近い?全ての基本となるそれそのものという意味?

 

34 「普通に感覚或は知覚といっているような者は極めて内容に乏しき一般的なるもので、深き意味に充ちたる画家の直覚の如き者がかえって真に個体的

 

39 「純知識であっても何処かに実践的意味を有っており…」知識と意志の不可分

 

41 意志は演繹法、思惟は帰納法

 

43 「種々なる約束の下に起る者が外界の変化と見られ、予期的表象にすぐに従う者が自己の運動と考えられるようになったのである」

→自分でコントロールできるものを自己、そうでないものを非自己  視点が自己にない?

 

46 完全なる真理は個人的なもの(純粋経験そのもの?)であり俗に言う一般性や共通性を持った真理とは完全なる真理が発展したものであるため真理とは言わない

 

48 希望ではなく満足したとき、現実が意志の実現となる

 

52 純粋経験が発展する流れの中の統一作用が知覚である。知覚を以て純粋経験帰納するのではない、純粋経験が発展して知覚があるのである(直線的なモデル)

 

54 知識や技術を会得することで物我相忘じるといった純粋経験に達することができる

 

55「我々がいかに縦横に思想を馳せるとも、根本的直覚を超出することはできぬ、思想はこの上に成立するのである。思想はどこまでも成立できるものではない、その根底には説明し得べからざる直覚がある、凡ての証明はこの上に築き上げられるのである。」

 

56 宗教的覚悟とは知識や意志の根底に横われる深遠なる統一を自得すること→知識や経験を以て得られる納得の感情のこと?

 

61 直覚するところのものは全て物そのものの客観的状態ではないと断ずる。→唯物論の否定

直覚による経験は疑いようのない知識であるとした。

 

64 ある一派は物の本体は思惟によって知ることができると主張する→イデアリズムのこと?プラトンデカルトと挙げてある

感覚的知識を誤りとし、思惟をもって物の真相を知りうる考え方に反論

…思惟も意識上の事実と見たとき、思惟と感覚は同一の次元にある→同じく脳で起こっているから?

それに対し直覚は直接の判断であり疑いようのないものである

 

71 「因果律というのは、我々の意識現象の変化を本として、これより起こった思惟の習慣である」

→因果を求めるのは人間の思考のパターンであり、外的世界の現象の理ではない。

 

73 連想(聯想)においても能動的な構成要素を含んでいるため、知覚に属する。

 

81 人間の意識は受動と能動に峻別することはできない。物体と精神がそれぞれ独立して存在するという仮定から、物体からの受動、精神の能動と人間の思惟による区別がなされているだけであって、純粋経験の事実上における区別ではない。

 

98 自己は「今」の瞬間にしか存在しない。過去の自己を考えたとしても、それは擬似的なものである。

 

101 「今」働いている主観のみが実在を成立させる統一力であり、客観は主観の派生である。

 

102 人による主観の差異を生む余地がない数学上の概念、例えば1,2のみが純物質

 

106〜108 自然の統一的自己の働きのもとで人間は統一的或者を捕捉することができる

人間は主観的統一をもって自然の意義目的を理解することができる

106で物理法則を認めている105で一種の自己があると述べていたがそれとは矛盾しないのか?

 

110 客観的実在とは各人に共通なる抽象的概念

 

111 統一的作用が精神なるものこの作用が進むと精神と物体の区別が著しくなってくる

子供は主観の作用が微弱だから成長するとそれができるようになってくる

 

112 衝突矛盾のあるところに精神あり、精神のあるところには矛盾衝突がある

衝突が起こるほど意志活動が明瞭に意識される

 

114 人間が統一して認識したもの自体が実在なため、人間が樹に直接経験の事実として統一的自己を見出せなければ樹には統一的自己がないことになる

 

116 物を知ることは自己が物と一致すること理は客観的実在(突然唯物論的見解?)がこれによりて成立する原理である

自己が自由で無限であるからこそ宇宙は無限に感じられる

 

117 意志は客観的自然に従うことで客観的であるほど有力となる釈迦、キリストが後世にも万人を動かしているのは精神が客観的であったたため

 

120 唯一実在である神の見方の違いから自然と精神が成り立っている

 

124 「肯定する」と有限になってしまう何かを為す(言葉に表す)ことは有限であること?

 

125 理解する材料がなければ理解ができない(動物の精神は人間の精神をもって比較、投影が可能だからこそ理解ができるように←これは書かれていない?)

 

129 行為とは意志があって初めてそう呼ばれる。動作が障害のため起こらなくとも、意志があれば行為である。意志がない動作は行為ではない。このため行為には内外の区別がない。

 

132 最後の行意志は現実的統一であり統一の極致である

 

134 「物質の他に実在なし」魂など証明されていないものの否定?

意志の根源は動物の反射運動、自動運動…であり、人間も意志が訓練されれば無意識になることから同一である

 

135 合目的とは俗に言う「自然の意志」のようなもの?

 

136 意志とは「私」という必ず存在する目線?

実在統一(物の認識)で見えているものは意志の働きからである内面の真意義である意志の働きがあってこそ物が見えている

 

139 先在的法則なるもの…思考の骨組み?

 

141 偶然であることは自由ではなく、むしろ偶然であるところに原因があるなら責任もそこに求められる

 

142 「いわゆる精神上の意味なるものは見るべからず聞くべからず数うべからざるものであって、機械的必然法以外に超然たるものであるといわねばならぬ。」

 

理由があることが自分の意志を説明できるから自由に感じられる?

 

147 意識(統一的活動)は思惟、想像、意志に先立つため、この三つを除去することはできない(この思考こそがその三つを生み出し続けるため)

 

148 「ただここに良心の要求とか、または生活の欲望という如き標準があって、始めてこの両行為の間に優劣の差異を生ずるのである」

 

149 有力と価値  人間が価値を感じるものを有力としているのであって、真に有力なものは判断できない(?)

 

154 直覚は直覚説において全く理性に由らないものとしなければならないので、無意義の意識と呼ばなければならない→それに従うのは盲従、抑圧(少し飛躍してるのでは?)

善が人間にとって善たるのは快楽や満足を与えるが故

 

159 「道徳と知識とは全く正反対であって、無知なる者が最も善人である」→知識は無意義の恐怖を超越する?

 

163 物の関係は数理の如く明確に「ある」が、それが「あらねばならぬ」とする立場は強制ではない(知識のあるなしに関わる)

 

164 クラークは適不適というより正誤を言いたかったのでは?

抽象的論理と(感情より起こる)意志は別物なので、「欲せざるところ人に施すなかれ」は抽象的論理ではなく、同情をもとにした意志によるものである

 

169 行為の価値は結果で決まる、結果に快楽を伴うものは善行である

 

171 快楽に価値付けて差別化すると、快楽こそが価値の基準であるとする快楽説と衝突する(大小の差は認めるのに優劣は認めないのか?)

 

173 欲求の満足≠快楽

 

174 人間の行動の根源は快楽に求めることはできない。他愛の感情があるのは、快楽が自己のみのための快楽の一種類だけでないことを示す。(←そうか?他愛の感情も自己の快楽のカテゴリーに入るのでは)

 

176 善は意識の直接経験における事実であり、そこに理由は無い

 

178 「善とは我々の内面的欲求即ち理想の実現換言すれば意志の発展完成であるということになる」

活動説

 

179 「善とは理想の実現、欲求の満足」

 

180 美とは物が理想の如くに実現する場合に感ぜらるる→理想とはイデア

 

185 本能的な意識現象とはいえその背後には必ず観念活動が潜んでいる、観念的欲望とは理想である

 

186 観念活動とは精神の根本的作用であり意識はこれに支配されている

観念的活動の根本的法則とは理性の法則である

理性は精神を支配すべき根本的能力

理性の満足が最上の善(ストア派と同じ)

活動説における善とは理性に従って他を制御するもの

 

187 統一力は常に動いているため静止した状態を見ることができない。直覚自得するものである。

「人格とは各人の表面的意識の中心として極めて主観的なる種々の希望の如き者をいうのではない。」

 

188「物心の別を打破せる唯一実在が事情に応じ或特殊なる形において現われたものである。」

 

191 「至誠の善なるのは、これより生ずる結果の為に善なるのではない、それ自身において善なるのである」→188の故に人格は〜のように純真なものが善

自分の意識しないところに現れる活動が真の自己

 

192 「主客相没し物我相忘れ〜反影である。」

 

197 「言語、風俗、…は凡てこの社会意識の現象である。」我々の個人的意識は大なる意識を構成する一細胞に過ぎない

「かえって…」社会的意識には発揮できる深大な意義がある?

 

198「脳という者も決して単純なる物体でない、細胞の集合である。社会が個人という細胞に由って成っていると違う所はない。」

 

199「男女相合して一家族成すの目的は、単に子孫を遺すというよりも、一層深淵なる精神的(道徳的)目的をもっている。」

 

200「国家の本体は我々の精神の根底である共同的意識の発現である。」

 

202 「世界は自己の意識統一に由りて成立するといってもよし、また自己は実在の或特殊なる小体系といってもよい。」

 

205 なぜ人間全てが共通した理性を持つと言えるのだろうか?確かめる術はないのでは?

 

214 「一社会の各員がその社会の安寧秩序を維持する力に対する共同的関係である」…宗教は人々を繋ぎ止めるもの?

 

222 個人の性を除去した客観的な純物質とはむしろ抽象的概念であり、個人的視点に近づくほど具体的事実となる

「最も根本的なる説明は必ず自己に還ってくる」

 

228「知が完全となればなるほどかえって不定的可能はなくなるのである」

 

231「個人性はただ不定的自由意志より生ずることができるのである」

 

235 存在はそれに反する存在がなければ存在できない

 

239 悪は本質的には悪ではなく、人間が時代によって判断をも変えてしまえるもの  しかし悪は精神的向上に不可欠である、それゆえに建てられたとする仮説

 


解題

252 「直接的気分的に把えられた直観を自覚的に裏付けようとする」→主観の説明