底冷え

岩 粗削り

シニフィアンシニフィエ

おなじみ例のギャバチョコを食べたら少しキマったので書き残します。

「キマる」って覚醒するかのようなニュアンスだけど、実際は眠くなったり朦朧としたりと覚醒水準が低くなってる時のが多いよなぁとキマる時に毎回思う。

今回はシニフィアンシニフィエについて。記号とそれが示す概念の関係で、よく使われてるものほど密接に繋がっている。反対に違和感があるがよく使われてる言葉は修正するように変化する(敬意逓減の法則がそれに当たるかも)。

その関係がキマることで変化しやすくなった。共感覚と言おうか、今回は思い出に色が付いた。カテゴリごとに色分けされているらしい。キマっている今はオレンジ、過去のキマったある日もオレンジだった。しかも通常使っている言葉のように、「オレンジ色」であることが自然でしっくりきていた。いつもは過去のあの日を「オレンジ色」だなんて呼べるはずもない、その間に何も関係が無いから。しかしそう呼べてしまった。過去のあの日、というかなり限定的な概念にわざわざ一つのシニフィアンが与えられた。

キマった時は過去のあの日がそれほど特別だったらしい。ということも当時はうっすら理解していた。だから今にあの日を懐古するのは「キマっているから」ならぬ「オレンジ色だから」と(ツイッターで)表現した。

そもそも人が言葉という記号を使うのには概念をいちいち説明しなくて済むように短縮するためだということを考えると、それほど取り出しやすくする必要性があるものだったのか?と思う。いや、それは無い。キマった時特有の脳の気まぐれだろう。現に今オレンジ色という感覚は消えている。とは言ってもチョコを食べただけでこうなるなんて不思議だ。

早く寝て生活リズムを整えるためにチョコを食べたのだが、こうして時間を割いて文字を書いてしまっている。最低限あとで後悔しないような内容を書けているといいな〜