底冷え

岩 粗削り

シオラン 『涙と聖者』個人的メモ

数字はページ数に対応     「」内は引用

→は自分の推測、意見など

 

序文

8 「ひとつの固定観念を共有するという幸運は、強迫観念を手紙による会話に変えたのである。」

 

「〈シオラン効果〉文章を通して私たちを書物を越えたひとつの冒険のなかに引きずりこむ彼のもって生まれた才能である。」

 

「読書体験はつねに彼を彼自身の方へ連れもどした

これは超脱の歩みのなかで踏みにじったかつてのおのが惨苦であった」


30 天国は地上の人々を理想に駆らせ、生命力を奪わせるそして青空はそのような人々の彷徨の場であった?


34 35 生と死の表裏一体さ


外部とは内面のみに宿る神性とは異なり、人為的な規則に基づくもの?

 

36 地上で絶対を示す聖者それをそのまま受け入れ、価値付けてもいる

→内面でのみ絶対を見た『絶望の…』とは異なる

 

38 最後の奴隷は西欧の哲学者よりずっと永遠の近くにいた

→永遠とは理論で語るものではなく内面の経験で語るもの


45 キリスト教の一切合切は涙の発作。私たちに残されたのはその苦い味のみ。

→もはや人々の信仰の力は薄れ、過去の信者たちの救済を求める声が逆説的に現実の苦しさを浮き彫りにしている


47 「神は、私たちのありとあらゆる劣等コンプレックスを利用した。まず手はじめは、私たちがおのれを神と信じるのを妨げるコンプレックスだった。」


48 キリスト教⇒かくも多くの神々

→ただ一つしか存在しないはずの神は多くの宗派によってそれぞれ別の神と数えられるべき事態に陥った?


51 「生に意味があるかどうかいまだにいぶかしく思っている人々がいる。実際にはこれは、生が耐えうるものかどうかという問いに帰着する。ここに問題が終り、決断がはじまるのだ。」


52 1 凡庸さによる劣等感?

2 「しかしそこには人間は取り扱われていない以上、彼らは作家を名のることはできない。私たちは彼らを作家とは認めない。なぜなら、彼らのなかで自分に再開することはないのだから。」

→作家とは自己投影のできる作品を作る人々のこと?

人間しか取り扱えない作家への皮肉?


68 「超自然的な召命を未然に防ぐという基本的な賢明さをもちあわせていないのではないか。」

→人は超自然的なものに期待をしていつも頼ってしまう?


71 「卑下の仮面をかぶった貪欲、慈悲をよそおった不満・動揺など」を聖性によって利用している

そういった「誇大妄想」は同情を呼び、人々は聖性の裏のそれを知った上で幻覚となった聖性を賛嘆する


72 表現「大地への、生まれそして死ぬすべてのものへの熱愛に私が捉えられるとき、そしてか弱きものが私を魅するとき」

→感情に思いがけず自我が捉われている様子の表現


75 「凡庸化する」とは絶えず神に懇願することで日常と化するか、懇願という期待を裏切ることによる疑念の喚起か?


76 「聖性とは被造物の状態の超越である。」

→聖性は不完全さゆえに人間に求めさせる神の計画ではなかったか?47より


79 神とは光でも闇でもなくただ絶対なもの?


「解決不可能なるものの総体は、さまざまなものの上に揺れ動く影を投げる。」


83 1「神?容認された、公認の精神錯乱。」


2 「かつて私たちは、内的後退のはてに光あふれる一領域として神を発見した。……私たちはおのれの内部に神を見出すことで、いわば神をおのが意のままにしているからである。」

→内的後退という相対の地獄の果てに絶対的な神を作り上げた。しかし神は錯覚ではない。


90 「知性によってのみ認識しうる記憶」

→人間のみに行われる絶対性の想像?


91 「再び神を見出すことはけっしてあるまい……」

→神に過度の特質を与えたことが現実性を欠き、幻想のものになってしまった。そうして神を操作した以上、本来の絶対性を持つ神を見出すことはなくなった。不可逆性。

「貴重な唯一誤謬」=神


93 涙=根源的な感情?


94 あらゆる存在の無意味さが神の無を証明している


96 「神との和解は、もはやおのれ自身を生きることではなく、神によって生きられるということであろう。おのれを神と同一視することで、私たちは消え失せる。」


98 「神学とは、信仰の無神論的解釈にすぎないからである。」

→立場の前提に神の存在の懐疑がある


104 「神にかんする一切の解釈は自伝的なものである。それは私たちに由来するのみならず、私たち自身の解釈である。」


111 絶望とメランコリーは相対する。メランコリーは絶対を受け付けないものなのかもしれない。


117 「集団の正気の一致」…歴史的偉業と称された過去は正気によって廃墟と化す。廃墟の上に倦怠と退屈が立ち、自由で無為な時間は大衆に比類のない責め苦を課した。


120 〈最後の審判〉への期待はつまらない日常の中でふいに感動として覚える。

最後の審判キリスト教徒以外にも恐れさせる効力がある→普遍的な「終わり」の概念?


123 歴史の連続性は人間の精神を構成する、認識に拠っている?宿命は意味をもたらす観念ゆえ、ある視点・認識では風変わりなものになる?


128 幸福を知ることで「幸福の犠牲」となり、過去のすべての恨みの一切がそれだけで晴れてしまう、それを恐れている


129 キリスト教の熱狂の正当化→熱狂は苦痛を伴う場合がある。(シオランが取り上げた例はその場合しかない)その苦痛をすぐれたものと価値づけることで慰めようとした?


130 「落伍とは明晰性の発作である。不毛にして明晰であり、もはや何ものにも執着することのない者の仮借ない眼には、世界は見え透いたものに化する。教養などなくとも、落伍者はすべてを知っている。」


134 意識のすべては苦悩?


139 苦悩は存在を非存在として定義する…「存在あるいは無は苦患を通してのみ〈存在する〉にすぎないからだ。」

→感覚を通してしか知覚できないということ?


140 死を知ること、その死の観念は自尊心を満足させる。→自分の死を知ることが尊厳につながる?

しかし自分が死ぬことという知を忘れる(知覚しない?)ために死を待っている


148 神の完全性は人間によって担保される。人間の欠陥や腐敗堕落は相対的に神に完全性を与えた?


152 絶望に神は依存している。そして人は絶望から神に救済を求める。絶望をもたらすことへの冒瀆と救いを求める祈りは同居する?