底冷え

岩 粗削り

後悔

久しぶりにお酒(9% 350ml 2缶)を飲んで酔った。変性意識を変に崇めているところがあるので、後悔してもこうして人前に書き出せるくらいにはまだ厚かましさがある。3口くらい飲んで酔いはじめたので私はお酒に弱いことを知った。

良いとか悪いとか悲しいとか誇りとかの、ある基準の端と端を何度も行き来した(ツイートで呟いた図-地反転のこと)。いくら良いとか悪いとか評価をしようとしてもその行為だけが意味になってしまうので、言い切りたい私の気質からしてかなり苦痛だった。とは言え現実感の無さは健在なので酔っているという感覚は楽しんでいた。あのふらふらした感じがかなりDXMを入れた感覚に似てるので、200円程度で酔えるのコスパいいなと思ってしまう。

今はだいぶシラフだが、醒めぎみの頃は酔いとのギャップが強く感じられてバッドに入りそうだった。最近は諦観をスキルとして習得できているので悲しみも長引かずに済んでいるが、酔っている時は麻痺にかまけていろんなものに期待したからでもある。自分を操作するってこんなにカロリーいるんですかね?

意識がしっかりしていると思っても後になれば覚えていないもので、ツイートされたものに新鮮味がある。寝てもないし声も出せるし打ち間違えもしてないし数時間しか経ってないのに不思議に思う。もう冒頭に書いた後悔の気持ちも抱いてない。

バッドのうちに出てきた考えや欲求は感情に急き立てられたものでほとんど意味がない。後からどんな考えや欲求が出たかをいくら分析したって意味がなく、バッドになったことそのものだけを考えればいい。これは原因を根源に求めすぎでしょうか?何を満たしても生きてるうちは時間がそれを制限する気がするんです。

だれかお話ししましょう…